だからと言って、『ゲド戦記』が優れていないというわけではなく、あくまで本の売れ行きの問題だそうですが・・・。
とにかく、日本人は欧米人に比べて、『ゲド戦記』をとりわけ高く評価しているそうです。僕は『指輪物語』は映画を観ただけ、『ナルニア国物語』は映画さえ観ていないので、比較はできませんけど。この2作もいつかは読みたいです。
さて、『ゲド戦記』。
以前にも書いた通り、映画を観る前に全部再読してレビューしようと思っていたのですが、読み終わる前に映画が封切り。全部読んでから観るか、観てから残りを読むか迷った末、先に映画を見ました。その後、すぐ読み終えたものの、レビューを書くのに手間取っているうち、夏休みも終わりに(映画はいつまで上映しているのだろうか)。
でも、せっかくなので、3回に分けて(3日連続で)掲載します。
3回・・・
はい。長くてすいません・・・。
アーシュラ・K・ル=グウィン 『ゲド戦記』(岩波書店)
物語の舞台は、架空の地球世界「アースシー」。
太古の昔、竜と人間はひとつの生き物、すなわち人であると同時に竜であり、竜であると同時に人であったのだが、やがて定住と生産の生活を選び「太古のことば(天地創造のことば)」を捨てた「人」と、自由に空を飛び続けることを選び「太古のことば」を保持する「竜」とに分かれた。そして、長い歴史のうちには、人々はかつて自分達が「竜」であったことを忘れてしまっていた。
しかし、アースシーの中心地域「アーキペラゴ」(多島世界)の住人たちの一部には、失われたはずの「太古のことば」が部分的にではあっても脈々と息づいており、「太古のことば」とそこに含まれる「真(まこと)の名」によって「モノ(者・物)の本質」を支配し、「魔法」や「まじない」を使う者たちがいた。
・・・というのが、基本的な設定。しかし、原作でも初めからその世界観の全貌が明らかになっているわけではありません。物語というものは、必ずしも作者自身がその物語内世界の全てを事前に構築・把握した上で書き始めるのではなく、書き進むうちに作者さえ気付いていなかった世界が立ち上がっていくんですね(あ・・・。エラそう・・・。わかったような口を・・・)。
では、全6巻をレビューして行きます。『 』内が邦題、その後が原題です。ちなみに『ゲド戦記』も「邦題」で、原作にはこのような通しタイトルはありません。なお、( )内は(原作刊行年→邦訳刊行年)です。
ゲド戦記1 『影との戦い』 A Wizard of Earthsea(1968年→1976年)
アーキペラゴの島のひとつゴントの十本ハンノキ村でヤギ飼いの家に生まれたダニーには、幼い頃から魔法の才能があった。彼は伯母のまじない師から「呪文」(太古のことばを編んだもの)を習うようになり、ハヤブサやタカを「真の名」で呼び出して、思いのままに操って楽しんでいた。そんな彼に村の子供達が付けたあだ名が「ハイタカ」である(彼は終生その名を自分の通り名とする)。
ある日、ハイタカは東海域から侵攻してきたカルカド帝国の軍隊を未熟な魔法ながら蹴散らすが、力を使い果たして倒れてしまう。その彼を回復させ、「ゲド」という「真の名」を授け、魔法を教えるために引き取ったのが、かつてゴントの地震を鎮めたこともある大魔法使い「沈黙のオジオン」だった。
オジオンの下で暮らすゲド。しかし、なかなか肝心の魔法を教えてもらえずに苛立っていたゲドは、ひょんなことからオジオンが持っていた魔法の書「パルンの知恵の書」の一節を危険な呪文とは知らずに読んでしまい、恐ろしい思いを味わう。
危ないところをオジオンに救われたゲドは、オジオンの勧めで魔法の学院「ローク」へ入学する。だが、成績優秀・自信過剰で傲慢なゲドは、ライバルの学生との諍いの中で、死者を呼び出す危険な呪文を唱え、自分の「影」を呼び出してしまい、その「影」に襲われる(ゲドの左頬の傷はこのときのもの)。そして、アースシー最高の魔法使い=ロークの学院長=大賢人のネマールは、ゲドを救うために命を落とす。
心身の大きなダメージから回復したゲドは、自らの非を悟り、静かに謙虚な気持ちで学院生活を送っていたが、ネマールの手から逃れた「影」が自分をつけ狙っていることに怯えていた。やがて、正式な魔法使いとなったゲドは任地に赴くが、ついに自分を追ってくる「影」と対決することを選び、自ら「影」を追い始める―。
第1巻は、巻が進むにつれて難解になっていく『ゲド戦記』の中にあっては最も分かりやすく、小学校高学年ぐらいから読める作品だと思います。僕自身も最初に全巻を通読した時は、この巻が一番面白く感じました。「魔法の学校に入る」というと「ハリー・ポッター」を連想しますが、物語の深みはこちらの方が上だと思います。一度、読み比べてみて下さい。
この「自分の影と相対する」というモチーフは、映画の中ではエンラッドの王子アレンが自分の影に怯えるという形で活かされていますね(原作の「影」と映画の「影」は似て非なる存在ではありますが)。
では、再読してみて、印象に残った箇所をピックアップしておきましょう。ロークの「呼び出しの長(おさ)」がゲドに語る言葉です。
「そなた、子どもの頃は、魔法使いに不可能なことはないと思っておったろうな。わしも昔はそうだった。わしらはみんなそう思っていた。だが、事実はちがう。力を持ち、知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間のたどるべき道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことだけをするようになるものなのだ。」
今日はここまで。
映画『ゲド戦記』に関するレビューはこちらです。
ラベル:ゲド戦記
次のレビュー楽しみにしてます★
ちなみに小学生の頃の夢は魔法使いになることでした。
うちの近所では売り切れてしまったので、なんとか入手するべくアタック買出し部隊を派遣しようかなと思ったり思わなかったりしております。
「シーアース」ではなく「アースシー」です(笑)。
>荒川執事さん。
バーチャル・アタック部隊を派遣してみて下さい(^^)。