2006年08月31日

Recommended Book 『ゲド戦記』(第3回)

 会社の方々と麻雀やって、24時過ぎに帰宅しました。

 眠い眠い(睡眠)。明日(というか今日)も仕事だバッド(下向き矢印)。 

 
 さて、長い長いブックレビュー。最終回です。

 『 』内が邦題、その後が原題、( )内は(原作刊行年→邦訳刊行年)です。


ゲド戦記4 『帰還・ゲド戦記最後の書』 Tehanu, The Last Book of Earthsea(1990年→1993年)

 アチュアンから脱出してゲドと共にハブナーを訪れたテナーは、ゲドの故郷ゴント島へ行き、しばらくの間オジオンの下で魔法を学ぶが、農夫の妻となり、平凡な主婦として20年以上を生きていた。そして、夫の死後、未亡人となったテナーは、虐待されて火の中に放り込まれ、顔の半分と片腕に大火傷を負った幼い少女テルー(真の名はテハヌー)を助け出し、養女にする。

 ある日、オジオンに呼び出されたテナーは、年老いたその大魔法使いの面倒を見ながら、テルーと共に3人で暮らし始めるが、彼はやがて静かに息を引き取る。そして、それと入れ替わるように、竜のカレシンに背負われて疲労困憊のゲドが戻ってきた。ゲドはクモを倒し、生死両界を分かつ扉を閉め、災いのもとを断ち切ったのだが、その代償として深く傷つき、すべての魔法の力を失っていたのだった。

 オジオンの家で介抱されたゲドは、何とか回復したものの、魔法の力を持たない平凡な初老の男となり、テナー・テルーとともに家族として穏やかに暮らし始める。だが、ゴント島の領主の館に住む魔法使い達に不穏な動きがあり、その悪意が3人に迫る・・・。


 初期3部作の終結から実に18年を経て、「最後の書」として刊行された第4巻。ここでは第2巻の真の主役テナーが、大人の女性として再び登場します。また、第3巻でゲドと共に旅したアレンも、ハブナーの王宮で長年空位となっていたアーキペラゴ全土の王=レバンネンとして再登場(レバンネンはアレンの真の名)。

 そして、テルーが初登場します。映画では、テルーとアレンは同年代の少年少女として登場しましたが、原作では幼女と青年です。

 さらに、映画の背景となる「竜と人間はかつてひとつだった」というモチーフも、この巻で初めて描かれますが、映画では十分に説明されているとは言い難いですねバッド(下向き矢印)

 僕がこの巻を初めて読んだときは、「えexclamationこれが完結編なわけexclamation&question」と思いました。ゲドは全く活躍しないし、謎は放り出されたままだし、物語としての盛り上がりも弱く、結局何を描こうとしたのか、イマイチよく分かりませんでした。続編が書かれることになったのも当然のような気がしますが、この点についてル=グウィン自身は、『外伝』のまえがきで次のように語っています。

 「ゲド戦記」の四巻目、『帰還』の最後で、物語は私がああ、「現在(いま)」だ、と感じる地点に達していた。(略)
 テハヌーの物語を続けることができず(なぜなら、まだ起こっていなかったのだ)、ゲドとテナーの物語は「そのあとふたりはいつまでもしあわせに暮らしました」の段階に到達したと愚かにも思いこんで、私は「ゲド戦記 最後の書」と副題をつけた。
(略)
 『帰還』が出版されて七、八年たった頃、私はアースシーを舞台にした物語をまた書かないか、と言われた。ちょっとのぞいてみると、私が見ていなかった間に、アースシーではいろいろなことが起きていた。(略)


 ・・・作家と作品の関係って不思議というか、奥深いもんですね。


ゲド戦記別巻 『ゲド戦記外伝』 Tales from Earthsea(2001年→2004年)

 日本では第5巻の後に『外伝』が出版されましたが、アメリカ本国ではこちらが先に出版されています。5つの独立した物語からなる中・短篇集ですが、最終話の『トンボ』は第4巻と第5巻をつなぐ話なので、第5巻の前にこちらを読んだ方がよいでしょう。

 その『トンボ』は、竜の娘アイリアンとロークの賢人たちの関わりを描いた作品。ほかには、ロークの学院の誕生とそれまでのアーキペラゴの歴史が明らかにされる『カワウソ』、アースシーを舞台にした幼馴染どうしのラブストーリー『ダークローズとダイヤモンド』、若かりし頃のオジオンとその師匠ヘレス(ダルス)がゴントの地震を止める様を描く『地の骨』、大賢人として充実期にあったゲドのエピソード『湿原で』が収められています。

 『外伝』は今回初めて読みましたが、非常に面白かったですわーい(嬉しい顔)。アースシー世界の歴史・文化・言語・魔法などについて、著者自身がまとめた巻末の『アースシー解説』も楽しく、5つの物語と相まって『ゲド戦記』の世界がより奥深く、広がりを持って感じられました。


ゲド戦記5 『アースシーの風』 The Other Wind(2001年→2003年)

 ゴント島のゲドのもとを、まじない師のハンノキが訪れる。

 彼は、お産のときに死んでしまった妻が、黄泉の国の生者と死者を分かつ石垣の向こうから自分を呼ぶ夢を見たという。夢の中では自分も石垣のこちら側にいて、互いに触れ合ったと。さらに、今では妻や知り合いはおろか、見ず知らずの大勢の死者たちまでもが、夢の中の石垣の向こうで、自分の真の名を呼ぶようになったのだという。

 怖くなったハンノキは、友人の紹介でペリルという魔法使いに相談し、その魔法使いの勧めでロークの学院を訪ねる。そして、ロークの長たちと共にこの現象の意味を探ろうと黄泉の国へ向かうが上手くいかず、様式の長は黄泉の国をよく知るゲドのもとへハンノキを遣わしたのだった。

 話を聞いたゲドにも、ハンノキの置かれた状況が何を意味するかは分からない。ただ、ゲドが言うには、オジオンが死ぬときに残した「何もかも変わった」という言葉の通り、アースシー世界は確かに変わり始めている。長年空位であったアーキペラゴの王にレバンネン(アレン)が即位し、ロークの学院では大賢人不在が続き(ゲドの後任は選ばれないままになっている)、竜が人間の領域である西方の島々の上空に姿を現したのだ。

 そして、今レバンネンの要請により、どうやら竜のカレシンの娘であるらしいテハヌー(テルー)がテナーと共に王宮に招かれ、竜の問題で相談を受けている。

 黄泉の国の異変も、竜の人間界への出現も、この世界の変化に関係していると見たゲドは、レバンネンとテハヌーのいるハブナーへハンノキを向かわせる。いったいこの世界はどう変わっていくのだろうか・・・。


 この第5巻には、『外伝』の『トンボ』に出てきた竜の娘アイリアンも再び重要人物として登場します。

 それはさておき、この巻ではこれまでの『ゲド戦記』の世界観が根底から覆されます。これを面白いと感じるか?「え〜。そんなのありかよ〜がく〜(落胆した顔)」と思うか?僕はどちらかというと後者です。ちなみに「ユリイカ8月臨時増刊号 総特集アーシュラ・K・ル=グウィン 『闇の左手』から『ゲド戦記』まで」の中のインタビューを読むと、宮崎吾朗監督もそのようですね。


 ところで、ル=グウィンが映画に対する批判的なコメントを自身の公式サイトに発表したことが話題になっています。原作者の意思表示は重いと思いますし、映画にとって原作者から愛されることが幸福なことであるとは思います。しかし、映画は監督のものであり、原作のストーリーや世界観に忠実であるだけなら、映画にする意味はないのでは・・・。もちろん、原作を大事にしてほしいという気持ちもよく分かるのですがあせあせ(飛び散る汗)

 とにかく、前述の「ユリイカ」での宮崎吾朗監督のインタビューを読む限り、彼なりに大変真摯に考えて作った結果があの映画だったということは言えると思います。また、この本には映画と原作、アニメ、ファンタジー、ル=グウィンに関する多くの評論が掲載されており、それらを読むとやはり『ゲド戦記』を映画化することの難しさは並大抵ではなく、宮崎駿監督ならもっと良い映画になっていたとは言えないとも感じました。


 さて、これで長い原作レビューは終了ですが、ここで述べた感想などはあくまで現時点でのものであって、この作品(に限りませんが)は読み手の年齢や積み重ねてきた経験、置かれている現状によって、どこを面白いと感じるかは違ってくるように感じます。なので、また数年後に読んでみたいと思いますわーい(嬉しい顔)

 最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました黒ハート


 映画『ゲド戦記』に関するレビューはこちらです。

  
ラベル:ゲド戦記
posted by ふくちゃん at 01:38| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読まれているんですねー(**)すごい!
私は、映画が観たいなぁーって思っているんですが、、、本を読んでからの方が良いかなぁー。。。
Posted by yukarin at 2006年08月31日 23:59
>yukarinさん。
長い原作なので、全部読んでからだと間に合わないかもしれませんよ(^^)。
僕の記事で予習すれば映画に十分対応できます(ほんとかな・・・)。
Posted by ふくちゃん at 2006年09月01日 00:23
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