2006年11月19日

Recommended Book 池波正太郎『鬼平犯科帳』

 このカテゴリも久しぶりの更新です。リアルタイムの読書記録を綴る「読書狂日記」、過去の全ての読書歴(漫画を除く)からオススメ本をセレクトして簡単なコメントを添える「読書狂の本棚」と比べて、書くのに時間がかかるんです・・・ふらふら

 さて、今回は時代・歴史小説の中からオススメの1冊を。

 時代・歴史小説というと、中高年男性の読み物、というイメージが強いような気がします。偏見かも知れませんがふらふら。僕も若い頃はほとんど読みませんでした。

 しかし、きっかけは忘れてしまいましたが、30代になったあたりから読み始め、「こんなに豊かな世界があるのなら、もっと早く読んでたらよかったなぁ・・・」と思ったものです。

 とはいえ、ある程度の年輪を重ねたからこそexclamation&question、そう感じられるのかも知れませんが。

 このジャンルには、お気に入りの作品がいろいろあるので、どれをrecommendするか迷いましたが、池波正太郎さんの3大人気シリーズのひとつ『鬼平犯科帳』で行きます。

 ま、1冊というか、全24巻ですがわーい(嬉しい顔)


 鬼平とは「鬼の平蔵」。つまり、江戸の凶悪犯罪を取り締まる火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)・長官の長谷川平蔵のこと。木造家屋中心の時代には、「火付け」=放火は風向きによっては延焼につぐ延焼で大火になりますから、とてつもない重大犯罪であり、犯人は死罪だったんですね。

 それはさておき、この作品は主に一話完結形式(長編作品もあり)で、平蔵を「お頭」とする火付盗賊改方とその協力者の面々が、毎回様々な盗賊たちと対決し、捕縛するまでを描いています。

 登場する盗賊についても丁寧に書き込まれ、「金持ちからしか盗まない」「無益に人を傷つけない」「女性に手を出さない」の3か条を守り、何年も前から奉公人として手下=「引き込み」を潜り込ませて徹底的に下調べした上で、家人が誰も気付かぬうちに盗みを完遂してしまう「本格」の盗賊や、その対極の手早く荒っぽい「畜生働き」「急ぎ働き」をする極悪の盗賊、あるいはひとりで「おつとめ」する者など多彩な手口やキャラクターで、平蔵とのスリリングな(時にユーモラスな)頭脳戦が楽しめます。

 3大人気シリーズの他の2編、『剣客商売』(新潮文庫・全16巻+番外編2作3巻)、『仕掛人・藤枝梅安』(講談社文庫・全7巻)と異なるのは、主人公が歴史上実在の人物であるという点ですが、この長谷川平蔵の人物造形が『鬼平犯科帳』の最大の魅力です。

 平蔵には、妾の子供であったために鬱屈した日々を送り、家を飛び出して、本所・深川あたりで酒と女とけんかに明け暮れ、「本所の鬼」などと呼ばれるイッパシの「顔」になり、放蕩三昧の無頼漢として過ごした青春の時期があります(このあたり史実らしいです)。無頼漢とは言っても、強くて気風が良くて、弱い人に優しく、市井の人々からは人気者でもありました。

 そのような若い頃を過ごしたことが、平蔵の人間性に何とも言えない深みを与え、また、その時に悪党の世界を覗いた経験が火付盗賊改方の仕事にも役立っているわけで、歴とした「殿様」であるにも関わらず、気取らないざっくばらんなキャラクターが非常に魅力的なんですね。

 一方で、非情な悪には冷厳な態度で臨み、自ら体を張って命を惜しまず粉骨砕身し、部下である与力・同心・密偵に対しては、深い愛情と厳しさを持って接します。

 平蔵の優秀な右腕・火付盗賊改方与力の佐嶋忠介。

 色白でぽっちゃり、仲間内では「兎忠(うさちゅう)」、平蔵からも「うさぎ」と呼ばれ、酒好きで食い意地が張っていて、いい女には滅法弱いながらも、憎めないキャラの火付盗賊改方同心・木村忠吾。

 平蔵に捕らえられた盗賊でありながら、その人柄に惚れ込んで足を洗い、平蔵のために働く数多くの密偵たち(シリーズが進行するにつれ、段々増えます)。

 無頼時代の取り巻きで、今は密偵の彦十じいさん、若い頃、道場で平蔵と「竜虎」と並び称された剣客・岸井左馬之助などなど、長いシリーズなのでレギュラー的な脇役が沢山登場するんですが、彼らのキャラもしっかり書き分けられており、ずっと読んでいると親しみすら感じるようになって、それがまた楽しいんですね。

 平蔵と彼を慕う部下や仲間との絆には、読んでいて胸が熱くなることもあります。それだけに、密偵のひとりがシリーズの途中で命を落とすシーンにはビックリしたし、実に切なかったなぁ・・・(連載当時もかなり反響があったようです)。

 あと、『剣客商売』や『仕掛人・藤枝梅安』にも言えることなんですけど、単純な善悪二元論・勧善懲悪ではなく「人は善を行いつつ悪も行い、悪を行いつつ善も行うものだ」という人間観も味わい深いです。

 そして、なんといっても食事のシーンや料理の描写がとにかく美味しそうるんるん。池波さんは、食に対するこだわりも相当な方だったそうですが、作品に登場する料理をプロが再現した本も出版されています。

 ・・・僕は、読んだ後、料理や酒がたまらなく欲しくなる小説は、無条件で良い小説と認めますぴかぴか(新しい)。いつか、そういう小説ばかりを、このカテゴリで紹介しようかな。

 それから、『鬼平犯科帳』のもうひとつの魅力は、そこはかとないユーモアと緊迫した場面のバランスの良さですね。そこは三大人気シリーズの中でも随一ですグッド(上向き矢印)


 ところで、ご存知の方も多いでしょうが、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の3作品とも、何度もTVドラマ化されています。特に、中村吉右衛門さん演じる「長谷川平蔵」はイメージ通り(池波正太郎さんも認めている)で誠にカッコよいです。

 しかし、残念ながらTVの時代劇って・・・バッド(下向き矢印)。原作の素晴らしさに負けていないものというと、今パッと思いつくのは、藤沢周平さん原作の『用心棒日月抄』(主演・村上弘明)とか『三屋清左衛門残日録』(主演・仲代達矢)ぐらいかな。どちらもNHKでした。NHKといえば、昔の大河ドラマは面白い作品も多かったんですけどね。

 TVの時代劇を見て、時代・歴史モノは面白くないと思っている方、小説は全然別モノです。僕は『鬼平犯科帳』も『剣客商売』も『仕掛人・藤枝梅安』も3回読みましたが、何回読んでも楽しめる、読書の至福を感じられる作品です。食わず嫌いはモッタイナイexclamation×2

 
↑ 小説は巻数が多いし、SET BOXも無いようなので。
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2006年08月31日

Recommended Book 『ゲド戦記』(第3回)

 会社の方々と麻雀やって、24時過ぎに帰宅しました。

 眠い眠い(睡眠)。明日(というか今日)も仕事だバッド(下向き矢印)。 

 
 さて、長い長いブックレビュー。最終回です。

 『 』内が邦題、その後が原題、( )内は(原作刊行年→邦訳刊行年)です。


ゲド戦記4 『帰還・ゲド戦記最後の書』 Tehanu, The Last Book of Earthsea(1990年→1993年)

 アチュアンから脱出してゲドと共にハブナーを訪れたテナーは、ゲドの故郷ゴント島へ行き、しばらくの間オジオンの下で魔法を学ぶが、農夫の妻となり、平凡な主婦として20年以上を生きていた。そして、夫の死後、未亡人となったテナーは、虐待されて火の中に放り込まれ、顔の半分と片腕に大火傷を負った幼い少女テルー(真の名はテハヌー)を助け出し、養女にする。

 ある日、オジオンに呼び出されたテナーは、年老いたその大魔法使いの面倒を見ながら、テルーと共に3人で暮らし始めるが、彼はやがて静かに息を引き取る。そして、それと入れ替わるように、竜のカレシンに背負われて疲労困憊のゲドが戻ってきた。ゲドはクモを倒し、生死両界を分かつ扉を閉め、災いのもとを断ち切ったのだが、その代償として深く傷つき、すべての魔法の力を失っていたのだった。

 オジオンの家で介抱されたゲドは、何とか回復したものの、魔法の力を持たない平凡な初老の男となり、テナー・テルーとともに家族として穏やかに暮らし始める。だが、ゴント島の領主の館に住む魔法使い達に不穏な動きがあり、その悪意が3人に迫る・・・。


 初期3部作の終結から実に18年を経て、「最後の書」として刊行された第4巻。ここでは第2巻の真の主役テナーが、大人の女性として再び登場します。また、第3巻でゲドと共に旅したアレンも、ハブナーの王宮で長年空位となっていたアーキペラゴ全土の王=レバンネンとして再登場(レバンネンはアレンの真の名)。

 そして、テルーが初登場します。映画では、テルーとアレンは同年代の少年少女として登場しましたが、原作では幼女と青年です。

 さらに、映画の背景となる「竜と人間はかつてひとつだった」というモチーフも、この巻で初めて描かれますが、映画では十分に説明されているとは言い難いですねバッド(下向き矢印)

 僕がこの巻を初めて読んだときは、「えexclamationこれが完結編なわけexclamation&question」と思いました。ゲドは全く活躍しないし、謎は放り出されたままだし、物語としての盛り上がりも弱く、結局何を描こうとしたのか、イマイチよく分かりませんでした。続編が書かれることになったのも当然のような気がしますが、この点についてル=グウィン自身は、『外伝』のまえがきで次のように語っています。

 「ゲド戦記」の四巻目、『帰還』の最後で、物語は私がああ、「現在(いま)」だ、と感じる地点に達していた。(略)
 テハヌーの物語を続けることができず(なぜなら、まだ起こっていなかったのだ)、ゲドとテナーの物語は「そのあとふたりはいつまでもしあわせに暮らしました」の段階に到達したと愚かにも思いこんで、私は「ゲド戦記 最後の書」と副題をつけた。
(略)
 『帰還』が出版されて七、八年たった頃、私はアースシーを舞台にした物語をまた書かないか、と言われた。ちょっとのぞいてみると、私が見ていなかった間に、アースシーではいろいろなことが起きていた。(略)


 ・・・作家と作品の関係って不思議というか、奥深いもんですね。


ゲド戦記別巻 『ゲド戦記外伝』 Tales from Earthsea(2001年→2004年)

 日本では第5巻の後に『外伝』が出版されましたが、アメリカ本国ではこちらが先に出版されています。5つの独立した物語からなる中・短篇集ですが、最終話の『トンボ』は第4巻と第5巻をつなぐ話なので、第5巻の前にこちらを読んだ方がよいでしょう。

 その『トンボ』は、竜の娘アイリアンとロークの賢人たちの関わりを描いた作品。ほかには、ロークの学院の誕生とそれまでのアーキペラゴの歴史が明らかにされる『カワウソ』、アースシーを舞台にした幼馴染どうしのラブストーリー『ダークローズとダイヤモンド』、若かりし頃のオジオンとその師匠ヘレス(ダルス)がゴントの地震を止める様を描く『地の骨』、大賢人として充実期にあったゲドのエピソード『湿原で』が収められています。

 『外伝』は今回初めて読みましたが、非常に面白かったですわーい(嬉しい顔)。アースシー世界の歴史・文化・言語・魔法などについて、著者自身がまとめた巻末の『アースシー解説』も楽しく、5つの物語と相まって『ゲド戦記』の世界がより奥深く、広がりを持って感じられました。


ゲド戦記5 『アースシーの風』 The Other Wind(2001年→2003年)

 ゴント島のゲドのもとを、まじない師のハンノキが訪れる。

 彼は、お産のときに死んでしまった妻が、黄泉の国の生者と死者を分かつ石垣の向こうから自分を呼ぶ夢を見たという。夢の中では自分も石垣のこちら側にいて、互いに触れ合ったと。さらに、今では妻や知り合いはおろか、見ず知らずの大勢の死者たちまでもが、夢の中の石垣の向こうで、自分の真の名を呼ぶようになったのだという。

 怖くなったハンノキは、友人の紹介でペリルという魔法使いに相談し、その魔法使いの勧めでロークの学院を訪ねる。そして、ロークの長たちと共にこの現象の意味を探ろうと黄泉の国へ向かうが上手くいかず、様式の長は黄泉の国をよく知るゲドのもとへハンノキを遣わしたのだった。

 話を聞いたゲドにも、ハンノキの置かれた状況が何を意味するかは分からない。ただ、ゲドが言うには、オジオンが死ぬときに残した「何もかも変わった」という言葉の通り、アースシー世界は確かに変わり始めている。長年空位であったアーキペラゴの王にレバンネン(アレン)が即位し、ロークの学院では大賢人不在が続き(ゲドの後任は選ばれないままになっている)、竜が人間の領域である西方の島々の上空に姿を現したのだ。

 そして、今レバンネンの要請により、どうやら竜のカレシンの娘であるらしいテハヌー(テルー)がテナーと共に王宮に招かれ、竜の問題で相談を受けている。

 黄泉の国の異変も、竜の人間界への出現も、この世界の変化に関係していると見たゲドは、レバンネンとテハヌーのいるハブナーへハンノキを向かわせる。いったいこの世界はどう変わっていくのだろうか・・・。


 この第5巻には、『外伝』の『トンボ』に出てきた竜の娘アイリアンも再び重要人物として登場します。

 それはさておき、この巻ではこれまでの『ゲド戦記』の世界観が根底から覆されます。これを面白いと感じるか?「え〜。そんなのありかよ〜がく〜(落胆した顔)」と思うか?僕はどちらかというと後者です。ちなみに「ユリイカ8月臨時増刊号 総特集アーシュラ・K・ル=グウィン 『闇の左手』から『ゲド戦記』まで」の中のインタビューを読むと、宮崎吾朗監督もそのようですね。


 ところで、ル=グウィンが映画に対する批判的なコメントを自身の公式サイトに発表したことが話題になっています。原作者の意思表示は重いと思いますし、映画にとって原作者から愛されることが幸福なことであるとは思います。しかし、映画は監督のものであり、原作のストーリーや世界観に忠実であるだけなら、映画にする意味はないのでは・・・。もちろん、原作を大事にしてほしいという気持ちもよく分かるのですがあせあせ(飛び散る汗)

 とにかく、前述の「ユリイカ」での宮崎吾朗監督のインタビューを読む限り、彼なりに大変真摯に考えて作った結果があの映画だったということは言えると思います。また、この本には映画と原作、アニメ、ファンタジー、ル=グウィンに関する多くの評論が掲載されており、それらを読むとやはり『ゲド戦記』を映画化することの難しさは並大抵ではなく、宮崎駿監督ならもっと良い映画になっていたとは言えないとも感じました。


 さて、これで長い原作レビューは終了ですが、ここで述べた感想などはあくまで現時点でのものであって、この作品(に限りませんが)は読み手の年齢や積み重ねてきた経験、置かれている現状によって、どこを面白いと感じるかは違ってくるように感じます。なので、また数年後に読んでみたいと思いますわーい(嬉しい顔)

 最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました黒ハート


 映画『ゲド戦記』に関するレビューはこちらです。

  
ラベル:ゲド戦記
posted by ふくちゃん at 01:38| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

Recommended Book 『ゲド戦記』(第2回)

 昨日の続きです。

 同じく『 』内が邦題、その後が原題、( )内は(原作刊行年→邦訳刊行年)です。どうしても若干のネタバレを含んでしまいますので、未読の方はご注意下さい(って注意しようがありませんね。実際に読んだときの面白さを損なわないように気をつけているつもりなんですがわーい(嬉しい顔))。

 なお、原作を未読のまま映画を見る方には、映画を理解する手助けになるかも知れません。まだしばらくは上映しているようですね。


ゲド戦記2 『こわれた腕輪』 The Tombs of Atuan(1971年→1976年)

 アーキペラゴの東海域にあるカルガド帝国の人々は、独自の文化・言語の下で生きている。「太古のことば」を完全に捨てた彼らは、魔法を知らず、信じず、使わず、独自の宗教を信仰し、強大な武力でアーキペラゴと敵対していた。

 その昔、アーキペラゴの偉大な魔法使いエレス・アクベはカルカド帝国の大王と和議を結び、その印として平和をもたらす腕環を贈ったのだが、大王の権限を簒奪した神官とその信仰の対象であり、魔法を無力化する「名なき者」との戦いに敗れた。和平の象徴であった腕環は壊れ、半分はアチュアンの墓所の宝庫に、もう半分はエレス・アクベから託されたある人物の手に渡った。

 そして、カルカド帝国の島のひとつアチュアンの墓所の地下迷宮では、永遠に生き続ける大巫女アルハ(実は幼い頃に巫女の生まれ変わりとして選ばれた少女テナー)によって今も「名なき者」たちが祀られている。

 全島を統べる王の存在を長年に渡って失い、島々の間で争いが続く現在のアースシー世界。影との戦いを制して、正式な魔法使いとなった青年ゲドは、平和を回復すべく、かつての戦いの最中に偶然手に入れた「エレス・アクベの腕環」の残り半分を求めて、アチュアンの墓所へ乗り込む。


 では、再読してみて、印象に残った箇所をピックアップ。ゲドによって墓所の巫女という立場から解放されたテナーについて・・・。

 彼女が今知り始めていたのは、自由の重さだった。自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、必ずしも容易なものではないのだ。坂道をのぼった先に光があることはわかっていても、重い荷を負った旅人は、ついにその坂道をのぼりきれずに終わるかもしれない。


 映画の中の「あの人が連れ出してくれたんだわ。アチュアンのあの暗い墓所から」というテナーのセリフ(不正確ですふらふら)は、この巻の内容を指しているのですが、原作を読んでいないと、「・・・exclamation&question」となってしまいますね。


ゲド戦記3 『さいはての島へ』 The Farthest Shore(1972年→1977年)

 「名なき者」を倒し、テナーをアチュアンの墓所から解放してゴントへ連れ帰り、再びひとつとなった「エレス・アクベの腕環」をアーキペラゴの中心地ハブナーの王宮へと戻したゲド。

 やがて、ロークの大賢人となった壮年期のゲドの元にエンラッドの王子アレンがやってくる。彼の話によるとエンラッドでは魔法の力が弱まり、人々は無気力な状態で、ただ死を待っているという。なぜ「エレス・アクベの腕環」が復活したにも関わらず、アースシー世界の平和は完全に回復しないのか?

 その理由を探るべく、ゲドはアレンと共に探索の旅に出る。そして、クモという魔法使いが、黄泉の国にある生死両界を分かつ扉を開けてしまったことが原因だと突き止めるのだが・・・。


 ご存知の通り、映画のメインストーリーとなったのはこの第3巻ですが、アレンが父親の国王を刺し殺すことも(死んでないかもしれませんが・・・)、自身の影に追われることもありません。しかし、その代わりと言ってはなんですが、ゲドとその魔法の力を疑ってしまうような「負」の感情に囚われる場面があります。テルーは、ここではまだ登場しません。

 もともと『ゲド戦記』は3部作として書かれたもので、その完結にあたる本作には印象深い言葉がたくさん登場します。

「(略)わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。ひとつの行為がつぎの行為を生み、それが、またつぎを生む。(略)」

「自然はいつも自然の法則にのっとってあるものだ。今度のは、だから、どう見ても均衡を正そうというのではなくて、それを狂わそうという動きのように思われる。そんなことができる生物は、この地上には一種類しかない。」

「生きたいと思うって?そう思うことは間違いではありますまいに。」
「うん、そりゃ、間違いではないさ。しかし、ただ生きたいと思うだけではなくて、さらにその上に別の力、たとえば、限りない富とか、絶対の安全とか、不死とか、そういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わるのだ。そして、もしも知識がその欲望と結んだら、その時こそ、邪なるものが立ち上がる。そうなると、この世の均衡はゆるぎ、破滅へと大きく傾いていくのだよ。」

「(略)わしら人間に打ち勝てるものは他にはいないんだ。いや、世界にただひとつ、この邪な心を持つ人間に対抗できるものがいる。それは、別のいまひとりの人間だ。恥を知る者にこそ、栄光はある。悪を為しうるわしらだけが、また、それに打ち勝つこともできるのだよ。」

「いいかね、アレン、何かをするということは、簡単に石ころでも拾って、投げて、あたるかそれるかして、それでおしまい、などと、そんな、若い者が考えるようなわけにはいかないんだ。石が拾い上げられれば、大地はそのぶん軽くなる。石を持った手はそれだけ重くなる。石が投げられれば星の運行はそれに応え、森羅万象、変化が起きる。何をしても、全体の均衡にかかわってくるんだ。一方、風も海も、水や大地や光の力も、それから、けものや緑の草木も、すべてこれらのなすことは首尾よく、正しく行われている。いっさいは均衡を崩さぬ範囲でな。(略)ところが、わしらときたら、今いる世界や人間同士たがいを支配する力を持っており、そうである限りわしらは、木の葉やクジラや風がその本性にのっとって、ごくごく自然にやってることを、その気になって学ばねばならないのだよ。知性があるのなら、あるように行動しなければ。選択が許されているのなら、それなりの責任を持って行動しなければ。(略)」

 
 初めて読んだときは、初期3部作の中では第1巻がいちばん面白く感じたんですが、今回の再読では(全体を通しても)第3巻がマイ・ベスト手(チョキ)でした。

 ところで、『ゲド戦記』では、優れた魔法使いは皆、魔法を使うことに抑制的です。それは、魔法を使うことは、物事の本質に手を加えることであり、そのことが他の何かに影響を与え、「世界の均衡」(世界が自然にあるべき姿)までも左右しうることをわきまえているからです。なので、魔法使いの物語でありながら、派手に魔法を使うシーンはほとんどありません。それがかえってこの物語を厚みのあるものにしていますグッド(上向き矢印)

 続きはまた明日。24時過ぎるかもしれませんが・・・ふらふら

 
 映画『ゲド戦記』に関するレビューはこちらです。

 
ラベル:ゲド戦記
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2006年08月28日

Recommended Book 『ゲド戦記』(第1回)

 映画『ゲド戦記』は賛否両論のようですが、原作は『指輪物語』『ナルニア国物語』などとともに三大ファンタジーに数えられる名作ぴかぴか(新しい)。もっとも『ゲド戦記』を含めて「三大」ファンタジーと呼ぶのは日本だけで、欧米では『指輪物語』『ナルニア国物語』が「二大」ファンタジーと呼ばれているようです。

 だからと言って、『ゲド戦記』が優れていないというわけではなく、あくまで本の売れ行きの問題だそうですが・・・。

 とにかく、日本人は欧米人に比べて、『ゲド戦記』をとりわけ高く評価しているそうです。僕は『指輪物語』は映画を観ただけ、『ナルニア国物語』は映画さえ観ていないので、比較はできませんけどあせあせ(飛び散る汗)。この2作もいつかは読みたいですわーい(嬉しい顔)

 さて、『ゲド戦記』。

 以前にも書いた通り、映画を観る前に全部再読してレビューしようと思っていたのですが、読み終わる前に映画が封切りバッド(下向き矢印)。全部読んでから観るか、観てから残りを読むか迷った末、先に映画を見ました。その後、すぐ読み終えたものの、レビューを書くのに手間取っているうち、夏休みも終わりにたらーっ(汗)(映画はいつまで上映しているのだろうかexclamation&question)。

 でも、せっかくなので、3回に分けて(3日連続で)掲載します。

 3回・・・exclamation&question

 はい。長くてすいません・・・ふらふら


アーシュラ・K・ル=グウィン 『ゲド戦記』(岩波書店)

 物語の舞台は、架空の地球世界「アースシー」。

 太古の昔、竜と人間はひとつの生き物、すなわち人であると同時に竜であり、竜であると同時に人であったのだが、やがて定住と生産の生活を選び「太古のことば(天地創造のことば)」を捨てた「人」と、自由に空を飛び続けることを選び「太古のことば」を保持する「竜」とに分かれた。そして、長い歴史のうちには、人々はかつて自分達が「竜」であったことを忘れてしまっていた。

 しかし、アースシーの中心地域「アーキペラゴ」(多島世界)の住人たちの一部には、失われたはずの「太古のことば」が部分的にではあっても脈々と息づいており、「太古のことば」とそこに含まれる「真(まこと)の名」によって「モノ(者・物)の本質」を支配し、「魔法」や「まじない」を使う者たちがいた。

 ・・・というのが、基本的な設定。しかし、原作でも初めからその世界観の全貌が明らかになっているわけではありません。物語というものは、必ずしも作者自身がその物語内世界の全てを事前に構築・把握した上で書き始めるのではなく、書き進むうちに作者さえ気付いていなかった世界が立ち上がっていくんですね(あ・・・。エラそう・・・。わかったような口を・・・たらーっ(汗))。

 では、全6巻をレビューして行きます。『 』内が邦題、その後が原題です。ちなみに『ゲド戦記』も「邦題」で、原作にはこのような通しタイトルはありません。なお、( )内は(原作刊行年→邦訳刊行年)です。


ゲド戦記1 『影との戦い』 A Wizard of Earthsea(1968年→1976年)

 アーキペラゴの島のひとつゴントの十本ハンノキ村でヤギ飼いの家に生まれたダニーには、幼い頃から魔法の才能があった。彼は伯母のまじない師から「呪文」(太古のことばを編んだもの)を習うようになり、ハヤブサやタカを「真の名」で呼び出して、思いのままに操って楽しんでいた。そんな彼に村の子供達が付けたあだ名が「ハイタカ」である(彼は終生その名を自分の通り名とする)。
 
 ある日、ハイタカは東海域から侵攻してきたカルカド帝国の軍隊を未熟な魔法ながら蹴散らすが、力を使い果たして倒れてしまう。その彼を回復させ、「ゲド」という「真の名」を授け、魔法を教えるために引き取ったのが、かつてゴントの地震を鎮めたこともある大魔法使い「沈黙のオジオン」だった。
 
 オジオンの下で暮らすゲド。しかし、なかなか肝心の魔法を教えてもらえずに苛立っていたゲドは、ひょんなことからオジオンが持っていた魔法の書「パルンの知恵の書」の一節を危険な呪文とは知らずに読んでしまい、恐ろしい思いを味わう。
 
 危ないところをオジオンに救われたゲドは、オジオンの勧めで魔法の学院「ローク」へ入学する。だが、成績優秀・自信過剰で傲慢なゲドは、ライバルの学生との諍いの中で、死者を呼び出す危険な呪文を唱え、自分の「影」を呼び出してしまい、その「影」に襲われる(ゲドの左頬の傷はこのときのもの)。そして、アースシー最高の魔法使い=ロークの学院長=大賢人のネマールは、ゲドを救うために命を落とす。
 
 心身の大きなダメージから回復したゲドは、自らの非を悟り、静かに謙虚な気持ちで学院生活を送っていたが、ネマールの手から逃れた「影」が自分をつけ狙っていることに怯えていた。やがて、正式な魔法使いとなったゲドは任地に赴くが、ついに自分を追ってくる「影」と対決することを選び、自ら「影」を追い始める―。


 第1巻は、巻が進むにつれて難解になっていく『ゲド戦記』の中にあっては最も分かりやすく、小学校高学年ぐらいから読める作品だと思います。僕自身も最初に全巻を通読した時は、この巻が一番面白く感じましたグッド(上向き矢印)。「魔法の学校に入る」というと「ハリー・ポッター」を連想しますが、物語の深みはこちらの方が上だと思います。一度、読み比べてみて下さい。

 この「自分の影人影と相対する」というモチーフは、映画の中ではエンラッドの王子アレンが自分の影に怯えるという形で活かされていますね(原作の「影」と映画の「影」は似て非なる存在ではありますが)。

 では、再読してみて、印象に残った箇所をピックアップしておきましょう。ロークの「呼び出しの長(おさ)」がゲドに語る言葉です。

「そなた、子どもの頃は、魔法使いに不可能なことはないと思っておったろうな。わしも昔はそうだった。わしらはみんなそう思っていた。だが、事実はちがう。力を持ち、知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間のたどるべき道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことだけをするようになるものなのだ。」

今日はここまで手(パー)


映画『ゲド戦記』に関するレビューはこちらです。

ラベル:ゲド戦記
posted by ふくちゃん at 23:45| 兵庫 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

Recommended Book 光原百合「時計を忘れて森へいこう」

 単行本が文庫本になるまで、普通は2〜3年。以前にも書いたことがありますが、僕はほとんどの場合、単行本やノベルズ(新書)ではなく、文庫本を買います(お金と保管スペースの関係で)。すぐに新刊を買うのは、村上春樹氏と森博嗣氏の作品ぐらいで(森氏の場合は購入しない場合もあり)、大抵は単行本やノベルズ刊行の段階で目目を着けておいて、文庫本になるのを待ちます。

 光原百合さんのデビュー作「時計を忘れて森へいこう」の単行本は1998年刊行、「このミス(このミステリーがすごい!)99年版」(宝島社)では堂々15位にランクイン。長い間、待っていましたが、先日ようやく文庫化されたので、早速soon買って読みました。


光原百合「時計を忘れて森へいこう」(創元推理文庫)

 主人公、若杉翠(わかすぎ・みどり)は高校生。学校行事で訪れた自然や環境を学ぶ体験教育の森で、自然解説指導員(レンジャー)の深森護(みもり・まもる)と出会う。

 日々、動植物と対話しながら、森を世話する護は、穏やかで心優しい青年であると同時に、表面的・断片的な情景や情報から、その奥に息づく真実を見抜く「名探偵」でもある。

 ある日、高校の国語科研究室の前で、翠は「アタシガ、コロシタ」と呟く女の子の声を聞く。それは、普段は元気で明るい友人・恵利の声。そして、続いて聞こえてきたのは、やはり普段は温厚な田崎先生の「俺のいうことをきけ!」という怒鳴り声と平手打ちの音。

 その場に一緒に居たクラスメイトの冴子とドアを開けて研究室に入ってみると、両頬を押さえて鼻血を流しながら泣きじゃくる恵利と、人が変わったような凄い剣幕の田崎先生が・・・。

 何があったのか?事情や理由を聞いても答えない恵利と田崎。冴子は、「田崎の体罰を問題にする!」と息巻く。しかし、翠からこの話を聞いた護は、そこにある事実から全く別の真実の物語を紡ぎ出していく・・・。

 以上が第1話。

 この作品に収められた3つの話には、殺人事件もトリックも登場しません。しかし、「謎」と「意外な真実」、そして「解明のための伏線」はキチンと揃っています。いわゆる「日常の謎」派のミステリですね。基本的に、登場人物は善人ばかり。そこに物足りなさや青臭さを感じる方もいるかもしれませんが、爽やかで優しい読後感の作品ですぴかぴか(新しい)

 では、僕の印象に残った、護のセリフを2つ。

「(前略)同じものを見ても、見る人によって世界はまったく違った姿に映る、それはどうしようもないことかもしれません。自分の見方を押しつけるのはおこがましいことだとわかっているつもりです。それでも、人を不幸にする見方と幸福にする見方があるのに不幸にする見方しか気づかない人がいたら、もう一方の存在だけでも教えるべきじゃないかって気がするんです。(後略)」

「僕は宗教のことはよく知りません。だけどね、万人に通用する励ましの言葉なんて、あるのかな。立ち直る力も、心の安らぎも、本人が自分で見いだすよりないんじゃないでしょうか。そのとき周囲の者にできるのは、その人のそばにいることだけでしょう。これは難しいですよ。何かできるときに何かしてあげることは簡単ですが、何もできないとわかっていて、それでも全身全霊をあげてそばにいるのは本当に難しい」


 僕は乱読派で、ミステリもいろんなタイプのものを読みますが、自分が気に入った作品を振り返って行くと、やはり一定の傾向というか、特徴がありますね。

 まず、これはミステリに限りませんが、中学・高校ビルを舞台にしたもの、あるいは舞台は違っていても中学生・高校生を主人公にしたものが好きです。「学園」モノ、「青春」モノとでも言いますか。例えば、恩田陸さんの「六番目の小夜子」や「麦の海に沈む果実」、辻村深月さんの「冷たい校舎の時は止まる (上)(中)(下)」など。

 それから、探偵役が現場に行かず、関係者や友人から聞いた耳情報だけで真相を看破してしまう「安楽椅子探偵」モノも好きです。「日常の謎」もこれに含まれますね。例えば、「花の下にて春死なむ」に始まる北森鴻氏の「ビアバー・香菜里屋」シリーズ、「空飛ぶ馬」に始まる北村薫氏の「円紫師匠と私」シリーズとか。

 あと、冴えない中年と魅力的な若い女性の探偵コンビ・モノ。決して自分の願望を投影しているわけではありませんふらふら(いや、してるのかなあせあせ(飛び散る汗))。ただ、昔から好きなんです、このパターン。例えば、「幽霊列車」に始まる赤川次郎氏(最近読まなくなったなぁ)の「幽霊」シリーズ、「すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER」に始まる森博嗣氏の「S&M(犀川と萌絵)」シリーズとか。

 いやあ、ミステリって、本当にいいもんですね。

 ・・・。

 BOOKLOG・WEB本棚「読書狂の本棚」でも、僕のお気に入りの本をたくさんご紹介しています。良かったらご覧下さいわーい(嬉しい顔)


↑ ミステリ嫌いの人にも読んでほしいです。
posted by ふくちゃん at 22:27| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

Recommended Book 伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」

 次はそろそろオススメの時代・歴史小説を・・・と思っていたのですが、映画化記念exclamation&questionということで、今注目の若手作家、伊坂幸太郎氏の都会派サスペンス(by文庫本裏の作品解説)「陽気なギャングが地球を回す」をレコメンド。先日、待望の続編「陽気なギャングの日常と襲撃」が発売されました。文庫本になるのが今から楽しみです。


伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」(祥伝社文庫)

 何の努力も要さずとも目の前の他人の嘘を100%見抜いてしまう男、成瀬(37歳・市役所係長・バツイチ)。
 動物好きで純粋な心の持ち主でありながら、天才的なスリの腕を併せ持つ20歳の青年、久遠(くおん:フリーター)。
 成瀬の高校時代の同級生で、あることないことひたすら喋る、口から生まれて来たような男、響野(きょうの:妻と一緒に喫茶店経営)。
 正確無比な体内時計と卓越したドライヴィング・テクニックを操る雪子(派遣社員・中学生の息子を持つシングルマザー)。

 彼ら4人は銀行強盗のチーム。頭脳明晰・冷静沈着な成瀬が立てた計画に基づき、人を傷つけず、鮮やかかつ速やかに金を奪う。準備も経過も結果も常に完璧で、そこに失敗の2文字がつけ入る隙はない。

 そして、今回もいつも通り銀行から金を奪って雪子の運転する車で逃走。ところが、同じく逃走中の現金輸送車襲撃犯(響野に言わせれば、現金輸送車襲撃という犯罪には「ロマンがない」)の車と鉢合わせし、大事な自分達の「売上」を横取りされてしまう。

 「売上」の奪還に動き出した成瀬達だが、割り出した現金輸送車襲撃犯の1人が住むマンションへ行くと、そこには死体が・・・。


 常に完璧だった計画に、なぜ今回に限って横槍が入ったのか?どうやって、敵の主謀者に近づき、そいつを欺き、現金を奪い返すのか?快調なテンポで進むストーリーは、とにかく読む者を飽きさせません。理屈抜きで楽しめる1冊ですぴかぴか(新しい)

 この作品の大きな魅力は、登場人物のキャラが立っていること。彼らの織りなす会話はおしゃれで、愉快で、思わずほくそ笑んでしまいますわーい(嬉しい顔)

 (ネタバレにならないように)ストーリーの根幹とは関係のないシーンを、その例として引いておきましょう。

 久遠たちは、窓際の四人がけテーブルに座っていた。暖房の効いた店内にはジャズピアノが流れている。
 力強い弾き方が心地良かった。十分ほど前に名前を聞くと、「ミッシェル・ベトルチアーニ」と響野が答えてきた。
「生きてる人?」久遠が気に入る演奏者はたいてい死んでいる。
「少し前に死んだんだ」響野の答えは案の定、そうだった。「でも、この強くてリズミカルな演奏、恰好いいだろう?このピアニストは本当に恰好いいんだ。死人の演奏とは思えないだろ」

 銀行員や人質達の前で行う響野の演説がまた秀逸なんですが、それは読んでのお楽しみということで。


 さて、ちなみに今公開中の映画では、成瀬:大沢たかお、響野:佐藤浩市、久遠:松田翔太、雪子:鈴木京香というキャストですね。

 原作を読んだイメージ(もちろんあくまで僕のイメージですが)からすると、ハードボイルドな雰囲気漂う成瀬には、もう少しくたびれた渋い中年の俳優(誰だ?ふらふら)が良いのでは・・・と思います。大沢さんでは、ちょっとスマート過ぎるような・・・。

 響野が佐藤浩市さんというのも、ワイルドでカッコよすぎる気がします。もっと軽薄で、いい加減そうで、ちょっと冴えない感じの俳優(誰だ?ふらふら)が合っているのではないでしょうか?

 鈴木京香さんも、クールでシャープな雪子のイメージとは少し違うような・・・。

 と勝手ばかり言いましたが、実際に映画を観て、その演技を見れば、また印象も変わるかも知れませんね。


 現在のところ、文庫で読める伊坂氏の作品は、「オーデュボンの祈り」「ラッシュライフ」とこの「陽気なギャングが地球を回す」の3作品のみ。実は、僕が最も気に入っているのはデビュー作の「オーデュボンの祈り」(だったら、それを紹介しろよ!たらーっ(汗))。村上春樹がミステリを書いたら、こんなふうになるのでは・・・?という作品です。

 伊坂氏は、すごい才能を秘めた作家なんじゃないか・・・という気がします。残りの作品も文庫化されたら、すべて読むつもりです。

映画「陽気なギャングが地球を回す」公式サイト
http://www.yo-gang.com/


↑ 退屈させませんよ!
posted by ふくちゃん at 22:24| 兵庫 ☁| Comment(6) | TrackBack(1) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月07日

Recommended Book 貫井徳郎「慟哭」

 GWも今日で終わり。僕も昨晩、実家から戻ってきました。まあ、GWといっても、昼ごろまで寝て眠い(睡眠)、だらだらとミステリを読み、中学時代の地元の友人と酒ビールを飲んだだけですが。

 あと、実家の体重計で体重を量ってみたら、58kgでした。ピークは63kgだったから順調にダイエットが進んでいると言えるでしょう手(チョキ)。油断してリバウンドしないように気をつけねば・・・。でも、今年の健康診断が楽しみになってきましたるんるん


 さて、僕の読書というのはかなりの乱読でして、面白そうであれば古今東西ジャンルを問わず読む・・・というのがポリシー(と言えるのか?)です。

 とは言っても、どうしてもよく読むモノとそうでないモノという傾向は出てくるわけで、ジャンルとしては普段読む本の60%ぐらいはミステリ。そして、30%が時代・歴史小説、残りが純文学・SF・ファンタジー・ホラー、その他もろもろといったところでしょうか。

 しかし、本格的なミステリ・マニアと言えるレベルに到達しているかというと、さにあらずバッド(下向き矢印)。何がしかの薀蓄(うんちく)を語ることができるほどミステリに関する教養もなく、マニアなら当然読んでおくべきであろうミステリ界の名作・代表作も読破しておりませんふらふら

 しかし、そんな自分だからこそ、ミステリを敬遠している方でも、面白く読んでいただける作品をご紹介できるはず!・・・と力むほどのことでもありませんかたらーっ(汗)

 GW中に読んだミステリは、僕にはイマイチでしたが、今回ご紹介する作品は面白いですよぴかぴか(新しい)


貫井徳郎「慟哭」(創元推理文庫)

 連続する幼女誘拐・殺害事件の捜査を担当する警視庁のキャリア、若きエリート捜査一課長佐伯。一方、心に傷を負い、その救済を怪しげな新興宗教に求めていく松本。物語は、この2人の視点によって交互に綴られていきます。

 初めのうちは無関係(なワケないんですけど)に見えた2つのストーリーが徐々にリンクし始めて、「あ〜。きっとこういうことか」と、もう結末まで分かった気になります。ところが、しばらく読み進めていくと、今度は2つのストーリーの間に微妙な齟齬(そご)があるような気がして、妙な違和感が・・・。

 そして、最後は・・・。え〜exclamation×2・・・驚愕・・・。

 
 この作品は著者のデビュー作であり、単行本は1993年、文庫本は1999年の発刊。僕が読んだのは文庫本になってからです。今まで読んだミステリの中では、その結末に最も愕然とし、「やられた!」がく〜(落胆した顔)と唸った(実際にはこんなにベタな反応はしませんが・・・)作品です。まさに「どんでん返し」!

 もっとも、僕もこれを読んだ当時は今と比べてミステリの読書量が少ない、つまりミステリにおけるストーリーテリングに関して知識が少ない状態であったということが驚きを増幅したかも知れませんあせあせ(飛び散る汗)。今の状態で、この作品と出会ったら、途中で真相に気付いてしまったかも。

 ・・・というのは単なる見栄で、長年ミステリを読んでいますが、犯人やトリックを途中で見破ったことは(自慢じゃありませんが)一度もありません。ある意味、幸せな読者ですが、アホとも言えますたらーっ(汗)

 ネット上の書評では「途中で犯人(トリック)が分かってしまった」という声も散見されますが、僕から見ると「皆さん、凄いなぁ・・・」と感心するばかり。

 ただ、そういった書評の中にも「途中で予測はつくけど、それでも面白い」という声があるように、「これは面白い!」という僕の印象も、まったく色褪せてはいません。

 『慟哭』は、貫井徳郎氏の最初の作品にして、最高の傑作ぴかぴか(新しい)でしょう(他の作品もいくつか読みましたが)。こんな褒められ方は、著者にとっては痛し痒しでしょうけど・・・。実際、よく売れたみたいですね。貫井さんの新刊が出るときには、「あの『慟哭』の著者の・・・」みたいなコピーがいまだに使われています。これも著者にとっては、なかなか複雑な思いがするものではないでしょうか・・・。

 ともあれ、まだこの作品を読んでいない方が羨ましいです。この驚きに出会えるチャンスが残されているなんてexclamation×2


↑ 驚きと共に、救いのない、やるせなさの残る結末です。
posted by ふくちゃん at 17:43| 兵庫 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月09日

Recommended Book 村上春樹「カンガルー日和」

 読書が趣味という人なら誰しも、そのきっかけとなった1冊があります(多分ふらふら)。僕にとっては、それがこれ。村上春樹の初期短編集です。

 今でこそ、通勤電車(どんなに混んでいても!)はもちろん、それ以外でも30分以上電車電車に乗るときは必ず本を読み(集中しすぎて乗り過ごし多数)、お風呂いい気分(温泉)の中でもトイレの中でも読書・・・そんな毎日ですが、昔はひたすらウォークマンで音楽るんるんを聴き、そして「漫画」ばかり読んでいました(これだけ小説ばかり読んでいると、今やなかなか漫画まで手がまわりません)。

 この本に出会う以前の読書体験といえば、幼い頃の絵本や伝記・偉人物、国語の教科書だけ。感動した小説本は夏目漱石の『こころ』と下村湖人の『次郎物語』(ご存知でしょうか?映画にもなりましたが・・・)ぐらい。

 しかし、大学時代に友人から薦められたこの本が、僕の「物語」を楽しむ眼目を開いてくれたのです。


村上春樹「カンガルー日和」(講談社文庫)

 まずびっくりひらめきしたのはタイトル。表題作の『カンガルー日和』はもちろんのこと、そのほかの作品も『4月のある朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』、『タクシーに乗った吸血鬼』、『あしか祭り』、『とんがり焼の盛衰』、『チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏』などなど。

 「何だこれは?こんなタイトルありかexclamation&question

 そして、ほとんどのストーリーは非現実的。それまでなぜか「小説=リアリティのあるもの」と漠然と信じていた固定観念はグラグラになりました。

 しかも、そこには一見して何の主張も教訓もありません。ほとんどの作品においては、波乱万丈もありません。

 だけど面白いんです。その面白さを理論立てて説明するのは難しいし(評論家の皆さんはいろいろ言いますが)、また無意味だと思うですが、なんというか1つ1つはとても短いのに、豊かで、暖かくて、ユニークで、キュートで、とにかく楽しいのですわーい(嬉しい顔)

 ・・・って、何の説明にもなってませんねバッド(下向き矢印)。僕が気に入っている部分を具体的に引用したいところですが、1篇1篇がとても短い(『図書館奇譚』を除いて)ので、作品のほとんど(あるいは全部)を引用することになりかねないし・・・たらーっ(汗)

 そんなわけで騙されたと思って読んでみて下さいあせあせ(飛び散る汗)。読書の好みは十人十色ですから、騙すことになるかも知れませんが・・・。気軽に読めることだけは保証します手(チョキ)

 好きな村上作品は数多く、この「カンガルー日和」も数十回は繰り返し読んでいますが、不思議とまったく飽きません。


 僕にとって、今では村上春樹は小説・エッセイとも必ずハードカバーで買う唯一の作家です(途中までは文庫本で読んでいたのですが、段々と文庫になるのが待てなくて・・・)。「ベストセラー作品(作家)」は嫌いという方も一度読んでみて下さい。そして、もし気に入ったら、ぜひ他の作品もどうぞ。長編では特に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が僕のオススメですぴかぴか(新しい)



↑ 特にオススメの収録作品は『4月のある朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』と『タクシーに乗った吸血鬼』
posted by ふくちゃん at 17:45| 兵庫 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

Recommended Book 梨木香歩「西の魔女が死んだ」

 今日は、かなやんさんが以前にコメントで推薦して下さった小説です。


梨木香歩「西の魔女が死んだ」(新潮文庫)

 中学校入学後、クラス内でのグループづくりとか、グループとグループの関係とか、そういった思春期独特の人間関係に疲れて、登校拒否気味の少女まい。学校をしばらく休んで「西の魔女」、すなわち大好きなおばあちゃんのもとで暮らすことに。

 自然に囲まれたおばあちゃんとの生活の中で「魔女修行」をしながら、少しずつまいが回復していく姿が描かれます。

 「魔女修行」とは、「精神力」=「正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかり立てて、身体と心がそれをしっかり受け止める力」をつけるためのトレーニング。

 その内容は、早寝早起き、適切な食事と運動、規則正しい生活。そして、それら(何時に寝て何時に起きるか、いつ何をして過ごすか)を含めて、何事も自分で考え、自分の意志で決めて、守るようにすること。

 一見簡単に見えて、実は難しい「『意志の力』を身につける」ということを、おばあちゃんの導きを受けつつ、まいが実践しながら成長していく・・・これがおばあちゃんの「魔法」なのです。


 おばあちゃんの言葉の中には、印象深いものがいろいろあります。

「ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ長い時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。生まれつき、体力のあまりない人でも、そうやって体力をつけていくようにね。最初は何にも変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう何も永久に変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。(後略)」


 おばあちゃんとの生活の中である事件が起こって、まいが不安に感じたときには、

「だって、その声は、まいが心から聞きたいと願ったものではなかったのでしょう。そういう一見不思議な体験を後生大事にすると、次から次へそういうものに振り回されることになりますよ。けれども不必要に怖がることはありません。それも反応していることになりますからね。ただこうべを高く挙げて」
と言って、おばあちゃんはおとがいをあげた。
「無視するんです。上等の魔女は外からの刺激には決して動揺しません」


 登校拒否に陥った原因について、まいがおばあちゃんに説明して、「わたし、やっぱり弱かったと思う。一匹狼で突っ張る強さを養うか、群れで生きる楽さを選ぶか・・・」と語ったときには、

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」


 もともとは児童文学として書かれた作品ですが、児童文学の中にも大人の鑑賞に堪えられる優れた作品がたくさんあります(と偉そうに言えるほど読んでいませんがわーい(嬉しい顔))。

 しかし、こういう言い方は、子どもに失礼かもしれませんね。子どもの鑑賞力が大人を下回るわけではありませんから。

 ともかく、とても美しい小説ですぴかぴか(新しい)

posted by ふくちゃん at 23:17| 兵庫 ☔| Comment(14) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

Recommended Book 梅田望夫「ウェブ進化論」

 今日・明日は最近読んだものから特に印象深いものを連続でご紹介します。本当は2冊まとめて・・・と思ったんですが、長くなりそうなのでふらふら

 まず今日は「リアル世界」では現在ベストセラー、「ネット世界」でも超話題(しかも好意的な意見が大多数)のこの1冊。


梅田望夫「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」(ちくま新書)

 インターネットが世界に登場して10年。世間ではまだネットを否定的に捉えた論調が幅を利かせているように感じますバッド(下向き矢印)

 しかし、どんな物事にも光と影があるもので、光の部分を理解しようとせずに、影の部分をことさらに強調して、その可能性を矮小化して語るのはいかがなものかむかっ(怒り)・・・と思います。

 この本では、光ぴかぴか(新しい)の部分に焦点を当てつつ、この10年間にインターネットを取り巻く状況がどのように推移してきたのか、この先どのような方向へ進んで行こうとしているのかが、平易な言葉で語られています。

 確かに最初の10年間では、インターネットが登場した当初に言われていたような社会的な大変化は訪れませんでしたバッド(下向き矢印)

 しかし、PCやブロードバンド回線の低価格化、玉石混淆の情報から「玉」を選び出す無償かつ高度な技術=Google検索エンジン、オープンソースや誰もが無料で使える「ブログ」の登場など、著者が言うところの「チープ革命」によって、インターネットの本質である「不特定多数無限大の人々とつながりを持つコストがほぼゼロになる」ということが実現しようとしていますぴかぴか(新しい)

 そして、今後は少しずつ、ゆっくりではあるものの、深く大きく、後戻りできない変化が「ネット世界」で起こり、「リアル世界」での社会やビジネスのあり方も変えていく・・・そのことを説得的に示してくれますグッド(上向き矢印)

 僕はビジネス関連本はあまり読みませんし、読んでも他人に強く薦めたいと思うことは滅多にありませんが、この本に限っては全てのビジネス・パーソン必読のように感じました。

 いわゆる「業界人」の方々の間でも話題になっているようですが、インターネットを日頃利用しない方にこそ、ぜひ読んでいただきたい1冊ですわーい(嬉しい顔)


↑何だか小賢しい紹介文になりましたがあせあせ(飛び散る汗)、面白い本ですわーい(嬉しい顔)
posted by ふくちゃん at 23:49| 兵庫 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

Recommended Book 初見健一「まだある。」

 読書が趣味の僕ですが、書店に行くこと自体が趣味と言っても過言ではありません。異動や引越しで新しい街に移る度に、その街の書店をチェック。少し時間があれば書店に足を運んで、ブラブラと本を見て歩きます。

 今回ご紹介する本も、書店でブラブラしていたときに偶然発見して購入したもので、こういうことがあると1日幸せだったりします手(チョキ)。単細胞です。


初見健一「まだある。文具・学校編」(大空ポケット文庫)
 
 「今でも買える“懐かしの昭和”カタログ」というサブ・タイトルが示すとおり、1960〜70年代の子どもたちが親しみ、今もまだ販売されている文具・学校用品100点が写真入りで紹介されています。

 トモエそろばん、地球ゴマ、ニッカー・ポスターカラー、ギターペイント、教育おりがみ、ぺんてるくれよん、しろうさぎ紙せっけん、カラーハーモニカ、ローネンド、サクラ三重筆洗い、サクラクーピーペンシル、ロケットペンシル・・・。

 名前を見てもピンと来ない方は、ぜひこの本を手に取ってご覧下さい。僕も名前こそ忘れていても、9割ぐらいは実際に自分が使っていたか、覚えのある品々で、懐かしく楽しく読みました。会社のアルバイト君(大学生)に見せたら、彼らが知っている製品も多く、その世代を越えるロングセラーぶりに感心(もちろん、そういうモノを集めた本なのですが・・・)。

 この「まだある。」シリーズには、ほかに「食品編」(サイコロキャラメル、ココアシガレット、パラソルチョコレート、ホームランバーetc.)があり、そちらも購入しました。まもなく「生活雑貨編」が刊行されるそうで、楽しみです。お風呂やトイレに入るときなど、こま切れの時間をつぶすのに最適(ほめ言葉)の「和み系」文庫本ですわーい(嬉しい顔)

 また、オフィシャル・サイトもあり、本に掲載された品々の一部と、掲載されなかったその他の「まだある」グッズも紹介されています。こちらも懐かしさ爆発です。

「まだある。」オフィシャル・サイト「まだあるなび」
http://www.ozorabunko.jp/arunavi/

 ところで、「大空ポケット文庫」も、発行元の大空出版という会社名も聞いたことないなぁと思っていたのですが、もともとは編集プロダクションとして2000年にスタートした新しい出版社で、「まだある。」が初めての文庫本なんですね。現在のところ、取り扱い書店は限定されているようです(「まだあるなび」参照)。

 ← 懐かしさ爆発の1冊です。
posted by ふくちゃん at 23:23| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月15日

Recommended Book 小川洋子「博士の愛した数式」

 「ストレス」は、生活習慣病の悪化をも引き起こします。
 現実を離れ、「物語」の世界に没入する・・・。これが読書の醍醐味であり、僕にとって欠かせぬストレス解消法です。
 このカテゴリでは過去に読んだ本、最近読んだ本の中から、おすすめの作品をご紹介していきます。


小川洋子「博士の愛した数式」(新潮文庫)

 第1回本屋大賞に輝いた話題作。文庫になったら必ず買おうと決めていました。僕は月に4〜5冊は小説を読むので、単行本だとお金もかかるし、置く場所もないし・・・。本当は単行本が好きなんですけど、がまん、がまんちっ(怒った顔)


 天才的な才能を持ちながら、交通事故の後遺症により、その時点で記憶の蓄積が止まり、新しい記憶は80分しか持たない、阪神タイガースファンの老数学博士(彼の中では阪神のエースは今も江夏豊のまま)と、そこにやってきたシングルマザーの家政婦「私」、その息子「ルート」(博士のつけたニックネーム)の交流を描いた作品です。


 彼らのコミュニケーションは数学を通じて行われます。

「君の誕生日は2月20日。220、実にチャーミングな数字だ。そしてこれを見てほしい。僕が大学時代に、超越数論に関する論文で学長賞を獲った時にもらった賞品なんだが・・・・・・」

 その賞品は腕時計で、文字盤の裏側に“学長賞284”と刻印され、博士は220という数字と284という数字が「友愛数」であることを語ります。

220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
220=142+71+4+2+1:284
「正解だ。見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。220の約数の和は284。284の約数の和は220。友愛数だ。・・・(中略)・・・神の計らいを受けた絆で結ばれ合った数字なんだ。美しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて」


 僕は数学が苦手で大嫌い(高校時代に200点満点で17点取りました)。でも、こんなふうに数学の様々な不思議や神秘を学んでいたら、好きになっていたかも・・・。

 さて、この「博士の愛した数式」。映画化の効果もあって、文庫版は100万部を超えるベストセラーになったそうですね。

 映画は見ていないので、どうだか分かりませんが、この小説は確かに良いと思います。小川さんの作品に常に流れている「静謐(せいひつ)」な感じに加えて、ほのぼのとしたユーモアや暖かさが感じられる幸せな、そして少ししんみりする作品です。

 

↑ 純文学なんて退屈で難しい・・・と思っている人もぜひ読んでみて下さいね。
posted by ふくちゃん at 22:11| 兵庫 ☔| Comment(2) | TrackBack(1) | Recommended Book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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